タイトル

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6.30.2015

第5回ゼミ

第5回ゼミの内容は批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義より第9章、第10章でした。

第9章「声」

ミハイル・バフチンという、ロシアの評論家がいます。

彼は小説のことを
「いくつもの異なった文体や声を取り込んで、
多声的なメロディーを織りなす文学形式」と指摘しました。

そんな彼が、小説言語の特徴を示すさいに用いた中心概念に
「モノローグ」と「ポリフォニー」があります。


モノローグといえば、ダイアローグ(対話)の反対語としての
「独白」や「独演劇」のことをさすのが一般的ですが、
バフチンの用いた「モノローグ」はそういう意味ではなく
作者の単一の意識と視点によって統一されている状態をいいます。


一方でポリフォニーとは、元は音楽用語です。
複数の声部からなり、それぞれの声部が旋律線の横の流れを主張しながら、
対等の立場でからみあっていく様式の音楽のことをいい(出典:デジタル大辞泉)、
そこから転じて、「ポリフォニー」とは
複数の意識や声がそれぞれ独自性を保ったままお互いに衝突する状態をいいます。

↓↓参考動画はこちら↓↓



さて、『フランケンシュタイン』ではどうでしょうか。

ウォルトン、ヴィクター、怪物といった複数の語り手が存在し
互いに意識や声が独立・衝突していることから、
『フランケンシュタイン』はポリフォニーを形成していると言えます。

また、物語中に挟まれる「手紙」から
読者は差出人の声を直接聞くことになります。
語り手フランケンシュタインの意識には還元されない、
もうひとつ別の見方を聞き取れるのです。



第9章についての議論で盛り上がった部分は以下の点です。


  • 「手紙」から伝わってくるエリザベスの本性について。
    ヴィクターの語りではまるで聖女のように語られていたが、実際のところは……?
    「手紙」が挿入されることで、ヴィクターがいかに
    信頼できない語り手と言えるのかが伝わってきた。
    ⇒エリザベスはもっと世俗的な、普通の娘であるかもしれない
  • 「モノローグ」と「ポリフォニー」はそれぞれどのような物語に適しているのか、
    という私が立てた問いに対して皆さんは、
    「どう使い分けるか」が重要であると結論付けた。
    というのも、二つの概念は「ある物語の流れ」に対して全く違う作用を及ぼすので
    ⇒作品のジャンルやストーリー展開よりも、作品に入れたい効果によって使い分けることが重要。





第10章「イメジャリー」

イメジャリーとは、
「ある要素によって想像力が刺激され、
視覚的映像などが喚起される作用のこと」です。

批評理論入門では、フランケンシュタインに登場する
様々なイメジャリーについての解説がなされていました。

筆者の言っていることに全員一応は納得はしましたが、
理解するのにかなり時間を要した部分でもあります。



↓↓↓それではいきましょう((+_+))



教科書に載っていた主なイメジャリーは
「メタファー」、「シンボル」、「アレゴリー」の三つ。

メタファー(比喩)についてはこの後詳しく説明するので省略します!

まず「シンボル(象徴)」とは、
特に類似性のないものを示し、連想されるものを暗示すること
平和の象徴であるハト、白い色の清楚なイメージはまさにこのシンボルです。
二つの例とも、「平和」と「ハト」、「白」と「清楚」の間には何にも類似性がありません。

次に「アレゴリー」とは(※とても理解に苦しんだ)
ある抽象的な概念を暗示して、教訓的な含みを持たせること
例えば、ある作品の中で登場人物が橋を渡るシーンがあるとします。
その場面は、一見するとただ橋を渡っているだけのように思いますが、
私達は「三途の川」の概念を持っているので、登場人物が橋を渡ることは
生と死の境界や、異世界への入り口という別の意味体系なのだと感じられるのです。



それでは、「メタファー(比喩)」に移りましょう。
教科書から派生して、比喩表現の三つの種類が挙がりました。
なんだか、どれも同じに見えますが違うようです…

  • メタファー(隠喩) … あることを示すために別のものを示し、共通性を暗示させる
    ex.「白雪姫」⇒雪のように白い、美しいお姫様
    (※雪もお姫様も「白い」共通性がある)

  • メトニミー(換喩) … 言葉の意味を拡張し、
    ex.「赤ずきん」⇒赤ずきんをかぶった女の子
    (※「赤ずきん」は女の子の特徴的な一部分。)
    「ホワイトハウス」⇒拠点のホワイトハウスを含むアメリカ政府。勤務する職員。
    (※「ホワイトハウス」は時の政権の特徴的な一部分。)

  • シネクドキ(提喩) … 上位概念を下位概念で、またはその逆で言いかえる
    ex.「人はパンのみに生くるにあらず」
    本来なら食べ物(上位)とパン(下位)という関係だが、
    ここではパン(下位)が食べ物・食事全体を表す語として用いられている。



これらのイメジャリーは、
『フランケンシュタイン』でも積極的に用いられています。

①重要な出来事の前後には、しばしば「月」の描写が入ります。
ギリシア神話では女性、キリスト教では母性のシンボルとされている月は、
登場人物が恐怖や激情に駆られる場面にも登場し、
狂気のシンボルになっています。

②また、作中のところどころで登場する「水」の描写があります。
作品自体が海の旅の話で縁取られていたり、
女の怪物を解体した後、海に投げ捨てたり、
水は死を象徴する危険な要素としての役割を持っています。
そして時には作品に静穏な雰囲気をもたらす役割も担っているのです。


※追記よりレジュメ

6.20.2015

第4回ゼミ

第4回ゼミでは廣野由美子『批判理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義』の7章、8章について考えました。
7性格描写
○キーワード
キャラクター:文学作品の登場人物。登場人物の特性や行動様式
○人物
EM・フォースターによる分類
 イギリスの小説家,評論家。
○語彙
・平板な人物  二次元的であり、比較的単純である。物語を通して変化しない。
 ドラえもんの登場人物、歌舞伎の登場人物

・立体的な人物 複雑であり、成長をする。時には読者を驚かせる。
 性格は時間を経て変わるだけでなく人間関係でも変わる 登場人物の性格がずっと同じなわけではない

先生からの作品紹介
ロバート・アルトマンの作品 群像劇の形をとっているものが多く、登場人物の誰に焦点が当たっているかわからない


○章の要点
.・イギリスでは17世紀(近代小説がうまれる以前)から登場人物の性格の描き分けがなされ、「性格」に対する関心が顕著であった。


・性格によって滅んでいく人々
怪物
もとは善良で無知な存在であった→フランケンシュタインに捨てられ、人々から排斥される→フランケンシュタインに復讐、邪悪な殺人鬼に

フランケンシュタイン
熱中しやすい
知識欲に駆られやすい
自然、生物の隠された法則を解き明かすことに無上の喜びを覚える
気性が激しくなり、感情が爆発することも

エリザベス
落ち着いていて集中力がある
自然の美しさに喜びと感動を覚える

クラ―ヴァル
人間の行動や美徳への関心 
想像力豊かで騎士道やロマンスの本を読む

エリザベスフランケンシュタイン
      エリザベスの人の心を和らげる力によってフランケンシュタインは自身の気性の激しさを抑えることが出来た

エリザベスクラ―ヴァル
      エリザベスによりさらに思いやりがあり寛容な性質に

『フランケンシュタイン』では全体を通して性格が運命に影響している。


8アイロニー
○キーワード
・アイロニー:見かけと現実との相違が認識されること、またそこから生じてくる皮肉のこと。
○章の要点
・言葉のアイロニー
表面上述べられていることとは違う意味を読み取らせようとする修辞的表現。解釈を通して初めて認識される。   

)怪物と盲目の老人ド・ラセーの対面の場面 238

・状況のアイロニー
 意図されたりや予想されたりしたことと、実際に起きていることとの間に相違がある場合のこと。
 
 例)ウォルトンの第三の手紙と第四の手紙の落差 40

・劇的アイロニー 
 ある状況に関する事実と、その状況についての登場人物の認識が一致していないことに、読者が気づく場合に生じる。「状況のアイロニー」に読者が気付いている。

 例)エリザベスとの婚礼の夜にフランケンシュタインのとった行動 345
 
 例)『オイディプス王』

・その他

 信頼できない語り手の使用などによって、小説の構造を通してアイロニーを生まれる場合もある。

読者は含意された作者を信じ、アイロニーを感じている

 話し合いの中で今後の疑問として「三人称の語り手は本当に信頼できるのか、偏りがないのか」と問いが生じました。

 信頼できない語り手についても今後ともさらに、考えていく必要がありそうです。



6.19.2015

第3回ゼミ



514() *加筆部分はフォントを変えています。
 
文責 日高華英
5.提示と叙述

○語り手が出来事や登場人物について語る方法、、、

 ①「提示」:語り手が介入して説明したりせず、黙ってあるがまま示すこと
       (ex. 登場人物の会話がそのまま記録・報告されている部分)
       ⇒語りの内容がそのまま出来事を示している

 ②「叙述」:語り手が前面に出てきて、出来事や状況、人物の言動や心理、動機などについて、読者に対して解説すること
       (ex. 語り手による要約の部分)
       ⇒語り手の言葉の簡潔さや抽象性によって、出来事や人物の特殊性は減じる方向へ向かう

○文学作品の歴史の中では、、、

 ・フローベルやヘンリー・ジェイムズ以降の現代小説
  →提示を重視。作者が姿を消した作品を、より純粋な芸術作品とする傾向。
  ※ギュスターヴ・フローベル(1821-1880):文学上の写実主義を確立した。『ボヴァリー夫人』                 =外面、内面ともにリアルに示す
  ※ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916):英米心理主義小説(?)の先駆者として知られる。
                      =内面も大切だ、という心理主義の影響
                            (ウィキペディアより参照)
 ・1960年代以降のポストモダニズムの作品
  →叙述を重視。故意に語り手が介入することにより、特殊な効果をねらう
  ※ポストモダニズム:近代主義(モダニズム)を批判する文化上の運動。文学においては、物語の矛盾や時間軸の無秩序性を肯定的に含んだ。(明確な特徴はない)
(ウィキペディア「ポストモダン」「ポストモダン文学」より参照)

【著者の意見】
・提示と叙述はどちらも重要な方法であり、作品の各部分において、ふさわしい方法が選択されるべきである。
・小説の語りは、提示と叙述の絶妙な組み合わせによって成り立つべきものである。

○例として取り上げられている2か所について (叙述の効果)
 [前者]それほど重要でない部分であり、効率よく話を進めるために叙述を用いている。
         [後者]提示にふさわしくない場面であり、叙述により、出来事・人物の特殊性を減じることで、「フランケンシュタイン」という語り手への共感を保とうとしている。
   =提示にふさわしくないというより、生命の創造はそもそもできないものだし、その様子はかくことができない
   =ぼかすことで、怪物の不確かさ、表現しえないおそろしさなどが表れているのではないか。これぞ小説ならではの表現(まえがきで触れられているように)なのでは?
   =この場面では、叙述によって、逆にフランケンシュタイン(語り手)の心が表現されている

【疑問点】
・フランケンシュタインに共感するか?共感というよりも、その言葉に信頼をおいていいか、という点で、叙述にするメリットがあったと思う。残酷なことをしてる時点で、共感、とまではいかないのでは?
 *上記の意見+
  =語り手であるフランケンシュタインが、フランケンシュタイン(自分)について語っている
  =ここでの出来事における焦点人物はフランケンシュタイン
  =自分のことを自分で語っているのだから、語り方でその語り手の心のなかが表れる
  =叙述ではあっても、ここではフランケンシュタインという人物の生々しさが生じている

6.時間

○「アナクロニー」:ストーリーにおける出来事の順序とプロットにおける出来事の順序が合致しない場合

 ・「後説法」:出来事の継起を語っている途中で、過去の出来事や場面に移項する方法。「フラッシュバック」 cf. 映画でもよく使われる。

 ・「先説法」:まだ生じていない出来事を予知的に示す方法。
        「フラッシュフォーワード
       ex. 未来に起きる出来事をあらかじめちらりとほのめかす「伏線」もこの一種。 (169ページ)
  =具体的にどんなもの?
  =天気などの情景描写も伏線としてこれにあたるのでは?
  =気づかないところで、先説法は使われているのでは?
  =ミステリーにはよくある
  =キャラクターとしての予言者が現れて、こうなるかも、と言ってしまうのは、先説法ではない
  =例えば映画で、地球滅亡後の様子がちらっと写されてからの、現代からスタートすると、まだ生じていない出来事を予知的に示せる
  =小説においては、細かく本当に細かく章が分かれているとき、ぱっと未来の出来事をほのめかす章が含まれていたりする

 ・「イン・メディアス・レース
   :すでにある程度進行している物語の途中から語り始める方法。

○時間操作の方法
 ・三人称の語りの場合、全知の語り手が出来事の間を行き来しながら、時間を自由に操る。
 ・一人称の語りの場合、語り手や登場人物の回想や手記、手紙などを用いることにより、時間を移動させる。
 →フランケンシュタインは、後者の方法で時間の操作が行われている

○「時間標識」:作品のなかの時間を特定する材料となる具体的情報。

複数の時間体系が存在し、語り手がその体系を行ったり来たりしながら、話が進んでいる。(352ページ)

○物語の速度

 ・「省略法」:ある期間を省略して、一気に飛び越える方法
    「限定的省略法」:省略された時間が指示されている
    「非限定的省略法」:   〃     されていない (370ページ)
  ⇒物語は無限の高速度で進む

・「要約法」:数日間や数か月、あるいは数年に及ぶ生活を、行動や会話などの詳細を抜きにして、数段落や数ページで要約する方法。 (352ページ)
  ⇒物語の速度は速まる

・「情景法」:物語の場面が劇的に提示され、理論上、物語内容の時間と物語言説の時間の速度が等しいもの。
 ⇒速度はそのまま

・「休止法」:語り手が物語の流れを中断させ、語り手としての特権を行使し、物語のその時点では登場人物がだれも見ていないような光景や情報を示すやり方。
 ⇒速度はゼロ
 =イメージとしては、、、動画を再生→一時停止して、解説を少し→また再生
 

【疑問点・考え】
 ・休止法の例が上手く見つけられない。だが、「伏線」もその一例として入るのではないか?
  =すべての伏線が語り手による語りとは限らない
 ・提示=情景法、叙述=省略法or要約法or休止法、と単純に結びつけて考えていいか?
         =語り手の介入     =休止法の中には、叙述を用いているものもある、という程度

○桃太郎の話をいろいろと変えて、具体的に考えてみた○
 (下の板書を見ながら、もう一度理解し直すことができたら、きっと完璧。
  ということで、あえて、写真だけ載せます。)


6.17.2015

第2回ゼミ

第2回のゼミでは廣野由美子『批判理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義』の3章、4章について考えました。
レジュメです。