タイトル

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9.24.2015

ゼミ合宿 2日目午後

2日目午後はケーキを食べつつ、映画『小さいおうち』を観ました。




ゼミ合宿に向けての課題として、事前に原作小説『小さいおうち』を読んでいたので、

映画版では
・何が語られているのか
・どのように語られているか(語り手、焦点化、時間、速度などに注目)

を注意して各々メモをとりつつ鑑賞しました。



映画終了後はそれぞれ気になった点を挙げ、話あいました。

・タキは信用できる語り手かどうか

 小説版p196、タキが睦子に時子奥様について相談する場面で、タキは( )内の台詞を本当に言ったのか、( )内の台詞は当時言いたかったが言えなかったことではないか


・映画版では時子と板倉の不倫が周囲の人に知れ渡りすぎではないのか

 時子と板倉のキスシーンがある、時子の姉まで不倫の事実を知っている


・映画版で最後に出てきた健史の彼女に違和感がある

 最後、タキの罪(板倉に手紙を渡さず、板倉と時子の密会を妨害した)は許されたという終わり形だった

・映画版のタキは時子と板倉のどちらが好きなのかが分からない
 
 板倉と仲良くする時子に嫉妬しているようにも受け取れる

など意見が出ました。秋学期も引き続き『小さいおうち』を考えていこうということになりました。


話し合いの後、大急ぎで映画版と小説版の年表、構造をホワイトボードに書き出しました。














帰り道、映画の板倉はイメージしていた板倉ではなかった、レポート頑張ろう、秋学期また会おうみたいなことを話しつつ、別れました。

ゼミ合宿1日目午前

ゼミ合宿1日目 午前                                 日高華英

みんなで東京国立近代美術館に行き、、、



『NO MUSEUM, NO LIFE? これからの美術館事典 国立美術館コレクションによる展覧会』
を見学しました。

この展覧会は、まさに“美術館のABC”を教えてくれます。
そのとおり、AからZまでを頭文字とする美術館に関する事柄ごとに作品が展示されていきます。



例えば、B。「Beholder 観者」

例えば、H。「Hanging 吊ること」


さらに、R。「Record 記録」「Research 調査/研究」


展示の中には、授業でも「異化」として例に挙げられたマルセル・デュシャンの『泉』もありました。


終盤のY。「You あなた」

観者であるわたしたちも作品の一部となったような感じがしました。

美術館のABCを知りながら、たくさんの作品を鑑賞することができました。
ときどき意味の分からないものもありましたが、自分からは行こうとしない展覧会だったような気がしたので、
とてもよい機会になりました。


お昼ご飯は、美術館の近くで、おいしい定食?をいただきました。
上天気の中、大学までの道のりも夏を感じられてよかったです。

ゼミ合宿2日目午前

2日目午前は、使うはずの教室に知らない人たち(別のゼミの人?)がいたり、寝坊して時間になっても姿を現さない人がいたり、ハプニング満載でスタートしました。

まずは前期のゼミで十分な議論ができていなかった12章文体論的批評と13章透明な批評について考えていきました。
12章文体論的批評は、作品の1文1文の長さ(単語数)や前置詞の数、抽象名詞の数などに着目し科学的に分析する批評のことでした。
ゼミ生からは「何でこんなことをするんだ…」となかなか理解しがたいという反応もありましたが、作家論をやるためには効果的な手法だそうです。
13章透明な批評は、作品の世界内に入り込んで、物語世界の出来事を現実のことのように捉える批評でした。
テクストの構造や形式を分析する「不透明な批評」とは対立するとても自由な批評の仕方で、個人的には好きな批評だなと感じました。

お昼ご飯は大学近くのチャントーヤというカレー屋さんに行きました。
(http://www.chantoya.com/)
初回ゼミの前座で紹介したお店を内藤先生が覚えていてくださいました。
日曜は学割でトッピングやラッシーがもらえるということで、それぞれ好きなものを頼んでお腹を満たしました。
その後、神田・秋葉原のほうへ散歩に行き、お蕎麦の「まつや」や甘味処「竹むら」といった古くからある店を紹介していただきました。
その店のあるところだけ時間が流れていないかのような、不思議な雰囲気でした。今度入ってみたいです。
帰り際に近江屋洋菓子店へ行き、ケーキを買って帰りました。
内藤先生、ごちそうさまでした!

第12回ゼミ

第12回のゼミでは廣野由美子『批判理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義』の第2部9章文化批評と10章ポストコロニアル批評について考えました。
レジュメです。

9.22.2015

ゼミ合宿1日目午後

1日目午後は、四年生の先輩方も交えての卒論構想発表会でした。
ひとりひとりの扱うテーマが全く異なっていたので、
バラエティに富んだ、楽しくも有意義なものになりました。

(敬称略)

◆ 日高 … ミュージカルとしての「レ・ミゼラブル」の発展
レ・ミゼラブルは世界中で上演されている、大変有名なミュージカル。
歴史や文化が異なる数々の国で、この作品がここまで評価されたことに関して
輸入の経緯、演出、経済状況、観客の影響など多角的に分析し、
どのような国であればヒットするかにも言及したい。

<意見>
・ 解釈の変化をたどっていく
・ 舞台分析の先行研究をたどると良いもかもしれない
・ ローカルチャーとハイカルチャーの関係性を含める



◆ 板橋 … 米澤穂信「ボトルネック」より、主人公は最後、家に帰るのか?
ボトルネックは作者の8作目の作品だが、構想は初期の頃に練られていた。
まず作品分析を行い、それをふまえて開かれた終わりについての結論を述べる。
(※彼女は「家に帰らない=主人公死亡」と予想)

<意見>
・ 作家論か/(作家に縛られない)作品論か
・ 結論を通して何を主張したいのか



◆ 三宅 … 女性(キャラクター)同士の関係性について
女性同士の恋愛関係、もしくはそれが含まれる作品のことを百合という。
男女、男男の関係で表現できないものや、作品内での男性の立場にも興味がある。
本論・結論は検討中である。

<意見>
・ 具体的な作品を分析してみるとよい
・ しかし「作品内分析」は、彼女の本当にやりたい事ではない可能性あり
・ 「百合」という言葉は世界中で使われているのか



◆ 村上 … 出版の歴史
日本(と世界)の出版の歴史をたどり、その変遷が読者に与えた影響を分析する。
それをふまえ、最終的には電子書籍について言及したい。(※彼は電子書籍批判派)
また「文庫」という”形態”が読書とどう関わっているのかを論証していく。

<意見>
・ 文庫を研究することで何を明らかにしたいのか
・ 文庫のハード面だけでは議論が広がらない可能性がある
・ 「今」の議論をするか/「昔」の議論をするか



◆ 清水 … 博物館とアイデンティティ
博物館が人々のアイデンティティ確立に影響を及ぼす過程を論じる。
そのうえで具体的な対象(ここでは江戸時代の着物にした)が
価値あるものとして展示される理由は何かを自分の主張とする。

<意見>
・ 対象とする「博物館」の定義・前提が必要
・ 博物館が万物を”切り取る”ような展示行為は良いのか悪いのか。
・ 「江戸時代の着物」にも飾られるものと飾られないものがある。その違いは?



それぞれが課題を見つけることができたと思います。
卒論に向けて、まだまだ道のりは長そうですが、お疲れ様でした!

9.21.2015

第13回ゼミ


723() 前期最終回\(^o^)

    日高華英


11新歴史主義


○新歴史主義の「新」

 …歴史を、より広いものとして捉え、社会学や文化人類学などを含む「社会科学」として位置づけたこと


○文化批評の変遷で考えると、、、

 20世紀前半  歴史主義 …文学作品を歴史的背景との関係において研究する

          ↓

 1930年代   ニュー・クリティシズム …作品を歴史的・社会的背景から切り離し、テクストそれ自体を

 ~1950年代               自立したものとして捉え、形式分析によって研究する

           (歴史主義は、アカデミックな批評の世界で影が薄くなってしまう)

 1970年代頃  ニュー・クリティシズムのテクスト中心主義に対する反動

         ・読者反応批評 …作品の意味は、読者とテクストとの相互作用から生じるという考え方

         ・ポスト構造主義 …テクストとは内部矛盾を含んだものだとする考え方

         (⇒しかし、どちらも、作品の歴史的背景を無視していることに変わりはない)

          

 1980年代頃  新歴史主義


○新歴史主義の研究方法

 …歴史的な題材など、他の領域のテクストと文学テクストとの境界を取り払う

 *ミシェル・フーコー(192684)

  ・フランスの歴史家

  ・ポスト構造主義

  ・ミシェル・フーコーの方法論[→よくわかりませんでした]


○フランケンシュタインを例に、、、

 *ラ・メトリー『人間機械論』 (…他の領域のテクスト)

  ・「人間は魂も含めて完全に機械であり、人間の思考はたんに脳髄の物質的特性にすぎない」

  ・「新しいプロメテウス」という文言が『フランケンシュタイン』とのつながりをほのめかす

  ・18世紀中葉ころに出ていたこの人間を機械とする新しい見方も取り込んでいるのでは。

  ◎『フランケンシュタイン』(文学)のなかのフランケンシュタインが生きていた18世紀、

   現実世界の18世紀には人間の身体などに関する書物(科学・化学書物)はどのようなものがあったのか。

  ◎全く関連のないように思われる2つのテクストにつながりの可能性を見つけ出す


 *ハンフリー・デイヴィ『化学講義序説』

  ◎『フランケンシュタイン』(文学)のなかのヴァルトマン教授の言葉、と、

   現実世界でのハンフリー・デイヴィの書物(科学書物)のなかの言葉につながりを見る

  ・フランケンシュタインと、イギリスのアマチュア科学者の姿を重ねた

   [→これは、新歴史主義の観点ではない気がする、、、どちらかというと文化批評のような?]



12文体論的批評

  …テクストにおける言語学的要素に着目し、作者が文やテクスト全体のなかで、語や語法などをいかに用いているかを科学的に分析する


引用〈1

特徴① 文が長く構造が複雑

 特徴② 文章の内容が漠然としていること

     ・抽象名詞、形容詞を使っている

     ・具象名詞なども、比喩表現に過ぎないため、曖昧

     *トロープ(trope):一般的な言語の規則から逸れた内容表現によって前景化する文彩

 [P228の「意味上の衝突」とは??]


引用〈2

 特徴:ピリオドやセミコロンで頻繁に区切られ、文の短さが目立つ


◎テクスト内に形成された基準から外れることによって、「内的逸脱」(internal deviation)という現象が生じる                                       

[内的逸脱とは?]


13透明な批評

「不透明な批評」:テクストを客体として見て、その形式上の仕組みを、テクストの外側に立って分析する方法 (批評理論入門の第一部の部分)

「透明な批評」:作品世界と読者の世界との間に仕切りが存在しないかのように、テクストのなかに入り込んで論じるような方法

 →アントニー・デイヴィッド・ナトール(1937)が分類


 *LC・ナイツ…劇の登場人物が現実の人間であるかのように、テクストから逸脱した憶測に踏み込んでゆくようなやり方を批判し、客観的な批評を推奨した。

 ⇔トナール…芸術と現実とを厳密に切り離すことは困難。無理に切り離すと、読者と作者の間に大きな隔たりができてしまい、文学の喜びを粉砕してしまう。            =透明な批評の弁護


、、、フランケンシュタインでは、、、

・アーネスト・フランケンシュタインはどこへ行ったのか。

 …フランケンシュタインの父が亡くなってから、一度もアーネストに関する記載がない

・なぜ怪物は黄色いのか

 …黄色であった意味は。物理的(?)な問題として、なぜ黄色くなったのか。

⇒物語の中の内容を、現実の世界でのこととして捉え、問題視する。    [かなり自由な批評だなと感じた。]

9.03.2015

第11回ゼミ



11回ゼミでは、『批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義』の
27章のジェンダー批評と8章のマルクス主義批評を取り上げました。

ジェンダー批評

ジェンダー批評は、男女を脱構築化します。男と女というのは、人間が都合のいいように外性器の有無によって分別したものに過ぎないと考えるのです。
そしてこの批評では、ジェンダー批評ではこの考えに基づき作品の中にゲイやレズビアン的関係を見つけ、それを分析します。

①ゲイ批評

・ウォルトンとフランケンシュタイン
・クラヴァルとフランケンシュタイン
これら2つの関係をゲイ的な関係として見ることができるのではないか?

②レズビアン批評

・ジュスティーヌとエリザベス
この2人の関係をレズビアン的関係として見ることができるのではないか?

ジェンダーとセックスについて、ジュディス・バトラーの話をしてもらいました。
フェミニズムが女性の立場の強化、ジェンダーが社会的な規範の変化を目指していて、
どちらも生物学的な男女というものを受け止めていた状況で現れたバトラーは、
ジェンダーがまずあって、男と女にしか分けられないと思ってしまったから、
外性器の有無によって無理やり2つに振り分けれらてしまったのではないか、
と男女を脱構築しました。男女の脱構築化が可能という話をされて私たちは、
衝撃を受けると同時に、このジェンダー批評が男女という2項対立に
押し込められた人たちの立場を強化するものであることを知りました。

 



マルクス主義批評

マルクス主義批評では、文学テキストを時代や社会背景を反映するものだと考えます。
そして作品を分析してそれらの要素を探求して、その関わりにおいて作品の意味を
読み解こうというのが目的です。

①時代と歴史的状況

・『フランケンシュタイン』が生まれた時代
ナポレオン敗北後の激動の時代
・『フランケンシュタイン』劇中の時代
フランス革命真っ只中

②怪物とは何か

・フランス革命後に、その欲求を膨らませた群衆
・人々の仕事を奪う気味の悪い蒸気機関や自動紡績機
・資本家に対する労働者階級
などのメタファーではないか。

③統一を崩す矛盾と闘争

・怪物創造のプロセスの直接的描写が省かれている
・科学技術がテクストから決定的に欠落し、むしろ四季折々の自然ばかり描写される。
これらのことからわかる『フランケンシュタイン』の歴史性とは、
科学技術の進歩が、むしろ社会に分裂をもたらし、
人間を新たな隷属状態に至らしめたという現象であるといえます。

今回やってみて思ったこと
ジェンダー批評はたくさん時間を使って全員の理解度も高まり、
ジェンダーに対する関心、新たな見方も獲得することができたと思います。
マルクス主義批評のほうは、個人的には不完全燃焼で、
これからも勉強することが必要だと感じました。