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5.31.2016

春学期第5回ゼミ

初めまして。今回のブログ執筆担当の横野です。

前書きなどを省略させて頂きまして、さっそく本題に入らせていただきますね。今回の『批評理論入門』はⅠ-6「時間」、Ⅰ-7「性格描写」、Ⅰ-8「アイロニー」について議論しました。


ゼミ中には「登場人物の人間の性質を描く上での豊かさと多様性、心理的洞察の深さは小説が一番なのか」「『劇的アイロニー』はロラン・バルトの『作者の死』と関連性があるのか」の2点について特に議論されました。
前者に関しては、やはり文字媒体としての強さは圧倒的ですが、映像ならではの表現法等もあるので一概には言い切れないという結論に。後者は作者の意図から作品を分離しているという考え方である「作者の死」の観点から、作者が仕込んでいないアイロニーや後の時代になってアイロニーになってしまう等、作者の考えが恐らく反映されていないだろう所は関係するのではないかとなりました。授業後に「作者が考えていれたアイロニーと違う意味のアイロニーと認識されてしまう場合はどうなんだろう…」などと考えてしまいました。また、お笑いの、特にコントではアイロニーを使用するネタが多いので、個人的にとても興味深い内容だなと感じましたね。


さて、5限ではジュラール・ジュネット『物語のディスクール』の持続について議論しました。

先ほど5限と書きましたが、今回は『批評理論入門』の発表と内容が近かった為、同時に発表しました。人がテクストを読む時間は映画・音楽とは異なり一定ではないので、物語言説と物語内容の厳密な等時法は存在しません。ただ、台詞などの叙述の切片と虚構の切片の間には一種の相当性は存在します。しかし、それも厳密には台詞が早口、ゆっくりと書いていても完璧には分かりません。作者しか正解は分からないですもんね。なので、相当性を基準にした持続の変化を測定するのは「不可能」なんです。でも、相当性はなくても関係性(=ゼロ度の基準点)はありますとの事。
ゼミ中には「もしこの世界と時間の感覚や世界観が全く異なる作品でも、このテンポは当てはめることは出来るのか」という発表担当相田くんの疑問に、今話題のズートピアやオデッセイの原作、ペルソナなど、たくさんの作品がゼミ生からぽんぽんと出てきました。皆様々なジャンルでオタク気質があるので、ついついフランケンシュタイン以外の作品でも例が出てしまい、授業中に作品プレゼンが始まる事もしばしばあるんですよね(笑)

今回、私個人の話なんですがジュネットさんの文章がどうも苦手らしく(理解できず、十数回読みました…)、発表担当の相田くんに個人的に解説してもらいました、ありがとう…。
そんな訳で、今回も濃厚な180分を終えました。


やっとゼミの雰囲気に慣れたと思った途端にゼミの参考資料の理解や議論に苦しむ日々。ゼミ試の時に少し脅された理由が何となく分かりました(笑)でも、苦しみつつも楽しんでいるのでやっぱり内藤ゼミに入って良かったです!
これから2年間、たくさんの事を吸収して自分の研究に活かしていきたいと思います!

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