タイトル

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11.07.2015

秋学期第6回ゼミ

10月29日(木)
中島京子『女中譚』と間テクスト性

時間が押し迫るなか、論点を絞ることで
ゼミ生全員で活発な議論を行うことができました。


論点1 「林芙美子『女中の手紙』の語り手・焦点人物は千代か?」
私の予想は両方とも千代だったのですが、議論していくうちに違うらしいことがわかりました。
『女中の手紙』は千代が信作に宛てた八通の手紙だけが並べられている書簡体小説で、
手紙の文章はすべて千代の一人称で書かれているのですが、
この作品を単なる一人称の小説と決めつけるのはいささか早計です。

この八つの手紙を並べて読者に提示している何者かの存在を無視できないこと、
「手紙」という媒体が作り出す、送り手と読み手の間にある時間のズレが重要であること、
などが理由にあげられます。

結局時間内には決着がつきませんでしたが、
『女中の手紙』が普通の小説とは違う特殊な作品であることを共通の認識として理解しました。



論点2 「戒厳令の夜、萬里子はなぜ「すみ」の胸に触れたのか?」
私が間テクスト性を完全無視して、登場人物の性格描写の議題を挙げたうえに
吉屋信子についての情報をレジュメに書き損ねたため、やや議論がブレてしまいました。
(今回の「間テクスト性」というテーマにおいては非常に重要なことだったと反省しています)

吉屋信子は、彼女自身が同性愛者であることを公表しています。
彼女がレズビアンであったこと、彼女の作品にエス(女性同士の強い絆)を描いたものが多くあること、
そしてこれらを知っていたであろう中島京子が、自作に同性愛的描写を色濃く組み込んだという点は
間テクスト性どころか元作品の作者の性質までもが、以降に生み出される小説の
内容に関わっているのだ、という事実を明らかにしています。



最近は4限の卒論準備ゼミに精魂を吸われているのか、
5限に力を入れられてませんね!頑張って食いついていきましょう!


追記よりレジュメです。





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