タイトル

タイトル

10.28.2015

秋学期第3回ゼミ

 理論体得ゼミ 第3回ではジェラール・ジュネット『物語のディスクール』(時間)の概念を使って、中島京子『小さいおうち』の分析を試みました。

 『物語のディスクール』はとても難解で理解の及ばない部分が多くありました。


Ⅰ順序 物語内容の時間的銃所とそれを提示するテクストのずれ(錯時法)を扱う領域
  
射程 物語内容の「現在の」時点―錯時法が姿を現す部分と錯時法でかたられている部分との間的距離

振幅 錯時法の持続

錯時法には主に後説法と先説法の二つがある、

後説法 物語内容の「現在の」時点より前のことを語る場合、最も一般的

先説法 これから起こることを先取りして語る場合

『物語のディスクール』では様々な種類の後説法、先説法が紹介されていました。

『小さいおうち』は物語りの大部分でタキが語り手となり、自分の若いころを振り返り語っている物語なので、主に後説法がとられている。

疑問に思った部分
『小さいおうち』101ページ15行目~ 
その後、ほんとうに世界大戦が起こってしまい、東京ばかりか、ヘルシンキでもローマでも開催は不可能になって、オリンピックそのものがとりやめになってしまったのだから、わたしが健史に言ったことも、あながち間違いではないと思う。
 
Q.『小さいおうち』は、ほとんど後説法で語られているが、上の箇所はタキが語っている過去の段階では起こっていない世界大戦にいついて語られているので、先説法が使われているはといえないだろうか

議論で得られた意見

・タキが過去を語っている部分に絞って考えれば先説法といえなくもない
・タキのいる現在を含めれば後説法
・現在のタキの生きる時間軸がなく、昔のタキの時間軸のみならば、内的後説法
・実際は、現在のタキの時間軸と昔のタキの時間軸が存在するので、外的後説法
・頻度の概念を重ねると反復的先説法(予告)



Ⅱ持続 物語内容における時間的継続と物語言説におけるそれとの対応関係(速度)を扱う領域

休止法 物語内容=0 物語言説=n 速度ゼロ 描写

情景法 物語内容=物語言説     リアルスピード 台詞の部分
  
要約法 物語内容>物語言説     圧縮によるハイスピード 基本的叙述

省略法 物語内容=n 物語言説=0 速度無限大 話が飛ぶ部分

『小さいおうち』では
・家族の団欒やタキと時子の会話の部分はリアルスピードで語られている一方、戦争の話や旦那様の仕事の話などはハイスピードで語られている。
・板倉(と時子)が登場する場面は物語の速度が遅くなる傾向にある。例えば139ー141ページではほんの一瞬のことに約2ページが割かれている。
・手紙騒動の後、特にタキが時子と別れてからは物語が加速して詳しい描写が少ない。
・261ページでは十年ぶりに帰った故郷や会った家族の話が数行でまとめられている。

これらのことからタキ(語り手)の思い入れの強い話や知識のある話は語られる量が多いのではないかと考えた。

議論で得られた意見
・語られる量は語り手の思い入れや知識量で決まるのか、それともそれは作者の思い入れ、知識量であるのか。
・249ページのように語られている量で思い入れがあるか否かが決まるとは限らない。語り手があえて語ってない部分も存在する。


Ⅲ頻度 物語言説における出来事の生起のあいすうと、物語言説における叙述の回数との関係

      出来事の回数   叙述の回数
単記法       1   対   1    

反復法       1   対   n

括復法       n   対   1

『小さいおうち』では
基本的に単記法が用いられている

タキが語った歴史を現代の若者である健史が語り直しているところ→反復法

(例 19ページ4-5行目 この話は小中先生お気に入りの話だったようで、そのあとも何回か拝     聴する機会があった。→括復法
    
Ⅰ-Ⅲの概念だけで物語を読み解くことは不可能ですが、それを使うことで新たに分かったことが多少なりともあったように思いました。
春に比べると難しさが増してきました。ついていけるよう頑張りたいです。         

10.27.2015

後期第2回ゼミ

後期初めてのディスカッションとなる第2回ゼミでは、
『小さいおうち』を作家論、テーマ論で考えてみました。

作家論

作家論とは、その作家について考え、
どんなことを作品を通して伝えたいのかを研究することです。
作家論をするためには、その作家がどういう人なのか、何主義に属しているのか、
どういう問題に取り組んでいるのか、などを考えていかなければなりません。
今回私たちが考えたのは『小さいおうち』の作者である中島京子についてです。


中島京子

1964323日生まれ

東京女子大学文理学部史学科卒業後、日本語学校教員、フリーライター、出版社勤務を経てインターンで渡米。その後2003年に『FUTON』で作家デビュー。

父は中央大学名誉教授の中島昭和、母は明治大学元教授の中島公子、どちらもフランス文学者である。姉はエッセイストの中島さおり。

 

143回直木賞(2010年上半期) 『小さいおうち』

42回泉鏡花文学賞(2014) 『妻が椎茸だったころ』

3回河合隼雄物語賞(2015) 『かたづの!』

4回歴史時代作家クラブ賞(2015) 『かたづの!』

10回中央公論文芸賞(2015) 『長いお別れ』

そのほかに、インタビューによると女中小説が好みであったり、ジェンダーの問題に取り組んでいたりと、彼女についていろいろと考えることができます。
戦後生まれでありながら『小さいおうち』のような戦時中の描写をしたり、あとがきでの発言から、戦争に反対する女性作家というイメージがディスカッションの中で生まれました。

作品論

作品論は作家論とは対照的に1つの作品で何が言いたかったのかを考えていくものです。
私は、『小さいおうち』に対する先行研究やインタビューから、
①戦時中の人たちの意識と私たちの思う当時の人たちの意識の不一致
②気取られることなくしんこうする戦争の恐怖
③読者にミスリードさせる入れ子構造の面白さ
の3つがその言いたいことなのではないかと考えました。
さらにディスカッションを通して、物語の中に多様な女の人が出てくることに
意味があるのではないか、そうした女性の姿を書くのも目的だったのではないかとの見方も生まれました。

また、作品論の陥性(落とし穴)というのもあり、作品の中に書かれていることすべてが咲く社外としていることではなく、100パーセント作者と結びつけることはできないと講義してもらいました。

今回は後期1回目のゼミということで、後期の忙しさを垣間見ました。
しかしここをがんばれば何か見えてくるそうなのでどうにか食らいついていこうと思います。