以下レジュメ↓
パラダイム ある時代に支配的なものの仕組みや考え方
パラダイム・チェンジ ある社会のシステムといった大きな枠組みを崩壊させ、変容させること。「パラダイム・チェンジ」は、時代の変化によってなされるものだが、誰でも認識できるようなかたちで必然的かつ具体的に現れてくるとされる
*この本の論点
1近代読者が誕生したのはパラダイムの変更による
2近代文学研究において読者が問題として浮かび上がったのもパラダイムの変更による
近代文学研究のパラダイム~読者の登場まで
作家論パラダイム 1960-1970年代
*特徴
・近代的自我を論じる
*読者
このパラダイムにおいて「真理」は作家の側にあるのだから、極端に言えば読者は自分が読者であるという意識さえ持ってはいなかっただろう。p23
→読者はむしろ邪魔
作品論パラダイム 1970-1980年代
*特徴
・作家論からの影響で作品から「作者の意図」を読み込むことが最終目標
・近代批判の姿勢が鮮明に(近代批判のパラダイム)
*読者
作者よりも研究者自身のイデオロギーや思想性が全面出るようになった。しかし近代批判のパラダイムが強固であったため、研究者は自分がどのような読者か(自分は近代批判の立場に立った読者である)という反省意識を持つことがほとんどなかった。
→作者より読者が前にでてきたがそれが問題化されなかった
→作者と作品がある程度切り離されて考えられるようになり、テクスト論の下地に
読者の誕生
テクスト論パラダイム 1980年代-現在?
*特徴
・作者とは接続しないがそれ以外のいかなる要因にも開かれている
・文学テクストは現実世界から相対的に自立している
*読者
ロラン・バルト「作者の死」によって読者が誕生
テクスト論の流れ
構造主義
二項対立を用い、構造分析を行う
↓二項対立を反転
ニュー・アカデミズム
権力に近いものと遠いものとの関係を反転させ社会秩序の転倒をめざす
ナラトロジーの導入により語り手」の言葉の受け手としての「読者」が概念が「作者」は「読者」という外部を持った。真理はむしろ「読者」の手の中に
ポスト構造主義 言語論的転回 「世界は言語のように構造化されている」から「世界は言語である」
主体は一つではなく複数(学生としての私も、店員としての私も、全部私)
→二項対立の考え方ではみえてこない
+言語論的転回以降の構築主義
カルチュラル・スタディーズ
時代におけるある事柄の語られ方の偏りを明らかにする メディア研究を盛んに行い、メディア戦略を明らかにする
ポスト・コロニアリズム
国家を規定する単位が民族に
近代読者
*近代読者が生まれるための八つの条件 『読者はどこにいるのか』p56参照
=中産階級を成立させるための条件
読者の地殻変動① 1910年(明治40年)前後
・国家が国民に読ませたい本だけ十分に読む能力を身につけさせたいと考えはじめる。
・「高等読者」と「普通読者」、中産階級以上と以下が存在していたが、昭和初期の「円本ブーム」は二つのグループを横断した。
・明治・大正期の「近代文学」が新しい「古典」として広く国民に共有され、大衆読者の内面の共同体の基礎となった。
読者の地殻変動② 1960-1970年代
・読書がエリートの行為から大衆の行為へと広がりを持つようになり、読書が教養から消費に。
・黙読により行う読書は自分と他者との比較ができず、そのため自己と他者の内
面が同じであるという「想像」による「内面の共同体」が形成される。
・国語教育を受けることや図書館で読むことは「内面の共同体」の形成に一役買っている。
・「内面の共同体」≠「想像の共同体」(国民国家)「内面の共同体」は国境や時代を超える。
今回学んだこと↓
近代的自我-人とは違う“自分”というものを持たなければならないと考える。近代以前の身分社会では自分がなにものであるか、自分は人とは違うなにかにならなくてはいけない。というような考えが芽生えにくかった。
想像の共同体-たとえば、“日本”があたかも大昔から存在していることを疑わないような意識。
日本人の特徴として集団行動をすることがあげられた時、“日本人”は集団行動をするDNAを持っているように語られる。私たちは“日本人”という統一した集団が昔からあるように考えてしまうが、それは日本が国民国家となった明治以降の意識にすぎない。
内藤先生(^o^)/ 情コミ学部の学生が共通して必ず読むような本がないのは、情コミの悪いところ だね。 想像の共同体くらい?共有できてるといいね!
とのことでした。