7月23日(木) 前期最終回\(^o^)/
日高華英
11.新歴史主義
○新歴史主義の「新」
…歴史を、より広いものとして捉え、社会学や文化人類学などを含む「社会科学」として位置づけたこと
○文化批評の変遷で考えると、、、
20世紀前半 歴史主義 …文学作品を歴史的背景との関係において研究する
↓
1930年代 ニュー・クリティシズム …作品を歴史的・社会的背景から切り離し、テクストそれ自体を
~1950年代 自立したものとして捉え、形式分析によって研究する
↓(歴史主義は、アカデミックな批評の世界で影が薄くなってしまう)
1970年代頃 ニュー・クリティシズムのテクスト中心主義に対する反動
・読者反応批評 …作品の意味は、読者とテクストとの相互作用から生じるという考え方
・ポスト構造主義 …テクストとは内部矛盾を含んだものだとする考え方
(⇒しかし、どちらも、作品の歴史的背景を無視していることに変わりはない)
↓
1980年代頃 新歴史主義
○新歴史主義の研究方法
…歴史的な題材など、他の領域のテクストと文学テクストとの境界を取り払う
*ミシェル・フーコー(1926~84)
・フランスの歴史家
・ポスト構造主義
・ミシェル・フーコーの方法論[→よくわかりませんでした]
○フランケンシュタインを例に、、、
*ラ・メトリー『人間機械論』 (…他の領域のテクスト)
・「人間は魂も含めて完全に機械であり、人間の思考はたんに脳髄の物質的特性にすぎない」
・「新しいプロメテウス」という文言が『フランケンシュタイン』とのつながりをほのめかす
・18世紀中葉ころに出ていたこの人間を機械とする新しい見方も取り込んでいるのでは。
◎『フランケンシュタイン』(文学)のなかのフランケンシュタインが生きていた18世紀、
現実世界の18世紀には人間の身体などに関する書物(科学・化学書物)はどのようなものがあったのか。
◎全く関連のないように思われる2つのテクストにつながりの可能性を見つけ出す
*ハンフリー・デイヴィ『化学講義序説』
◎『フランケンシュタイン』(文学)のなかのヴァルトマン教授の言葉、と、
現実世界でのハンフリー・デイヴィの書物(科学書物)のなかの言葉につながりを見る
・フランケンシュタインと、イギリスのアマチュア科学者の姿を重ねた
[→これは、新歴史主義の観点ではない気がする、、、どちらかというと文化批評のような?]
12.文体論的批評
…テクストにおける言語学的要素に着目し、作者が文やテクスト全体のなかで、語や語法などをいかに用いているかを科学的に分析する
引用〈1〉
特徴① 文が長く構造が複雑
特徴② 文章の内容が漠然としていること
・抽象名詞、形容詞を使っている
・具象名詞なども、比喩表現に過ぎないため、曖昧
*トロープ(trope):一般的な言語の規則から逸れた内容表現によって前景化する文彩
[P228の「意味上の衝突」とは??]
引用〈2〉
特徴:ピリオドやセミコロンで頻繁に区切られ、文の短さが目立つ
◎テクスト内に形成された基準から外れることによって、「内的逸脱」(internal deviation)という現象が生じる
[内的逸脱とは?]
13.透明な批評
「不透明な批評」:テクストを客体として見て、その形式上の仕組みを、テクストの外側に立って分析する方法 (批評理論入門の第一部の部分)
「透明な批評」:作品世界と読者の世界との間に仕切りが存在しないかのように、テクストのなかに入り込んで論じるような方法
→アントニー・デイヴィッド・ナトール(1937~)が分類
*L・C・ナイツ…劇の登場人物が現実の人間であるかのように、テクストから逸脱した憶測に踏み込んでゆくようなやり方を批判し、客観的な批評を推奨した。
⇔トナール…芸術と現実とを厳密に切り離すことは困難。無理に切り離すと、読者と作者の間に大きな隔たりができてしまい、文学の喜びを粉砕してしまう。 =透明な批評の弁護
、、、フランケンシュタインでは、、、
・アーネスト・フランケンシュタインはどこへ行ったのか。
…フランケンシュタインの父が亡くなってから、一度もアーネストに関する記載がない
・なぜ怪物は黄色いのか
…黄色であった意味は。物理的(?)な問題として、なぜ黄色くなったのか。
⇒物語の中の内容を、現実の世界でのこととして捉え、問題視する。 [かなり自由な批評だなと感じた。]