前期最後のゼミです!
今回は『批評理論入門』の第2部12章「文体論的批評」と13章「透明な批評」について学びました。
↓以下レジュメ抜粋とまとめ↓
12.文体論的批評
☆キーワード
文体論:テクストにおける言語学的要素に着目し、作者が文やテクスト全体のなかで、語や語法などをいかに用いているかを科学的に分析する研究方法
テクストの形式的特徴、すなわち、テクストの「表層」構造の研究である。典型
的な文体論は、個々の作家の文体の特徴、あるいは、様々な時代の文体の特徴に
注目する。
(『現代文学・文化批評用語辞典』より引用)的な文体論は、個々の作家の文体の特徴、あるいは、様々な時代の文体の特徴に
注目する。
エレガント・ヴァリエーション:他の説明的な語句の代用によって反復を避ける表現
トロープ:一般的な言語の規則から逸れた内容表現によって前景化する文彩メタファーあるいはメトミニーなどの比喩表現、あるいは、規範から逸脱した
表現 (『現代文学・文化批評用語辞典』より引用)
内的逸脱:テクスト内に形成された基準から外れることによって際立たせる
①フランケンシュタインの幸福な少年時代からのちの破壊へと推移してゆく過程について
概略した部分
・文が長く構造が複雑 前置詞が多い
・文章の内容が漠然としている 抽象名詞+形容詞
・のちの運命の原因である情念→「川の生成」
・具体的に何を指しているのか釈然としない情念の根源「ほとんど忘れ去られた恥ずべき源」
「恥ずべき源」:トロープの一種
フロイト的な「無意識の衝動」
「自然の秘密を貫き暴きたいという熱い憧れ」
「より深く貫き、多くを知った男」
→性的欲望
漠然とした曖昧なものの言い方をしたり言葉を濁したりする
→フランケンシュタインという人物の特徴のひとつ
②婚礼の日の夜、怪物が予言通り姿を現すかもしれないと、フランケンシュタインがひと
り待ちかまえている場面に続く箇所
・ピリオドやセミコロンで頻繁に区切られている
全般的に複雑な構造の長い文が多いフランケンシュタインの語りを背景として際立つ
→内的逸脱
瞬間の緊張感が高まると同時に、破局の瀬戸際であることが予測される
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「恥ずべき源」は、意味上の衝突を起こしており、トロープになっています。
この「意味上の衝突」の意味がよく分からなかったのですが、意味上の衝突とは、「恥ずべき」と
「源」の連合関係がおかしいことから成り立っているそうです。
連合関係とは、単語と単語の組み合わせのことで、たとえば、「赤い/靴」なら連合関係は正しい
のですが、「水っぽい/靴」では連合関係がおかしなことになっています。
「恥ずべき/源」も、川の流れにたとえた中で使われている「源」に「恥ずべき」とは普通表現しない
ので、連合関係がおかしくなって意味上の衝突が起こり、トロープになっているということでした。
(ちなみに、文法的な組み合わせのことは、連辞関係というそうです。)
この『批評理論入門』では、作品内の文体を比べていましたが、文体には、作家の特徴が出ると
思うので、作品全体の文体の特徴を他の作家と比べることで、ジェンダーや歴史的な研究にも使
えるのではないかと思います。
ただ、ジェンダーに関しては、必ず男女間で文体に差があると言っているわけではありません。む
しろ、『フランケンシュタイン』が作者が女性であるにも関わらず、男性のペンネームで違和感を持
たれなかったことや、マンガになってしまいますが、『鋼の錬金術師』や『結界師』など、多くの人が
作者は男性だろうと思っていたものが実は女性だったということがあることから、文体や表現方法
に男女差はないのかもしれません。けれど、比べることで「差がない」ということが分かることもまた
意味があるのではないかと思います。
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13.透明な批評
☆キーワード
不透明な批評:テクストを客体として見て、その形式上の仕組みを、テクストの外側に ☆キーワード
立って分析する
透明な批評:作品世界と読者の世界との間に仕切りが存在しないかのように、テクスト
のなかに入り込んで論じるような方法
☆人物
アントニー・デイヴィッド・ナトール(1937-)批評家芸術と現実とを厳密に切り離すことは困難であり、それを突き詰めると、読者と作者を際限なく隔てて文学の喜びを粉砕するような結果となり、かえって批評を痩せ細らせる危険がある
①アーネスト・フランケンシュタインはどこへ行ったのか
アーネスト:ヴィクター・フランケンシュタインの弟
・勉強が嫌いで、いつも戸外で遊んでいるような活発な若者
・軍隊に入って外国に行きたがっているが、父に反対されている
フランケンシュタインの父が死んだあと、アーネストに関する記述がテクストからいっさ
い消える
推測
ジュネーヴの家から去り、外国駐在の軍隊へ
②なぜ怪物は黄色いのか
アン・メロア
黄色人種がもたらすとされていた災いを象徴
ジョナサン・グロスマン
ヨーロッパ人の死体を材料として使用
→アジア人の身体を造ることは不可能
怪物は黄疸にかかって生まれた
ジョン・サザーランド
作者メアリー・シェリー出産を経験
→メアリーの子供のなかのいずれかが黄疸にかかっていたのではないか
自分が造った者に対するフランケンシュタインの嫌悪感は、女性の産後のショックと
落ち込みを譬えたもの
「透明な批評」を、たんなるゲームにとどめず、そこから作品の中心部に迫ってゆくことも可能
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本をテクスト、つまりただの文字の連なりと割り切っているのが不透明な批評で、形式主義が挙げられます。また、『批評理論入門』の第1部はこちらにあてはまります。
それに対して、単なる文字なのに、書かれていること以上のことを想像するのが透明な批評になります。物語の中に「闘争」を見出そうとするマルクス主義や文学現象を精神分析的に解釈する精神分析批評などがこちらになります。
透明な批評は、証拠を提示しにくいので批評としてはとても難しいですが、物語を読んだときに、人は何かしら考えたり感じながら読むと思うので、その感じたことを分析して言葉にすることは、物語を多面的にし、より面白いものにすると思います。
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今回で『批評理論入門』をすべて学び終えました!
長かったような短かったような・・・
とても濃い内容だったことは間違いないので、ここで習った知識をしっかり吸収し、応用ができるようになるためにも、夏休み中に復習をしようと思います。
というか復習しないと頭の整理が出来ない・・・
なにはともあれ前期のゼミはこれで終了です!
みなさんお疲れ様でした!
まあこの約10日後には合宿があるんですけどね(笑)
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