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11.26.2015

秋学期第7回ゼミ

関テクスト性と脱構築

11月5日と12日のゼミでは、いくつかの文献を使って脱構築について学びました。

参考文献
ジュリア・クリステヴァ著 原田邦夫訳
『記号の解体学 セメイオチケ1』(セリカ書房 1983年)
土屋智則 青柳悦子著
『ワードマップ 文学理論のプラクティス』(新曜社 2001年)

まず5日のほうでは、『ワードマップ 文学理論のプラクティス』のほうで紹介された
関テクスト性が、過去のテクストから未来のテクストに影響を与えるだけでなく、
未来から過去のテクストにも影響を与えるのではないか、という考えを確認しました。
もちろんテクストそのものに直接干渉するのではなく、むしろ読者がテクストを読むときに、
以前読んだテクストの影響を避けられないということです。

12日のほうでは5日では確認できなかった『記号の解体学』と、『ワードマップ』の
詳しい解説を先生にしていただきました。

間テクスト性の影響が過去から未来だけではなく、もっと複雑であるということを説明するために、
この2つのテクストを使う、というのが今回のテーマの目的でした。

『記号の解体学』では、対話(P58 12行目)と、水平的(P60 8行目)、
垂直的(P60 9行目)という言葉をキーワードにみんなで話し合い、
対話というのは過去から未来へ、未来から過去へという
双方向的なものであるという結論に至りました。同様に水平的は作者、読者が対象の空間軸的と言い換えられ、垂直的はテクストが対象で時間軸的と言い換えられるという結論を出しました。

『ワードマップ』では、単方向的、モノローグ的、トゥリー的という言葉の対義語を考えました。
単方向的な言葉の対義語に双方向的という言葉を考えたのですが、もはや双方向ですらなく、
多方向的といっても過言ではないと知りました。モノローグ的に対応する言葉を
バフチンはさまざまに言っているらしく、ポリフォニーやカーニバルという言葉で表現しています。ドゥルーズとガタリのトゥリー的に対応するのは、リゾーム的(地下茎)で、上から下への一方向しかないトゥリー的と違い、始点すらわからなくなる植物の地下茎のような構造です。

最近は4限が長引いて5限になかなか時間が取れなかったり、課題と個人が抱える問題がかち合ったりでみんなきついと思いますが、一緒にがんばりましょう・・・!

11.07.2015

秋学期 特別講義

秋学期特別講義 井川理先生
                                               文責 日高華英

【メディアの中の「江戸川乱歩」 ―『陰獣』を中心に―】


10月22日(木)6限に井川理先生による特別講義を行いました。

取り扱った作品は江戸川乱歩の「陰獣」です。

《1》 1930年前後のメディアにおける「江戸川乱歩」と『陰獣』

○乱歩の作家的イメージと『陰獣』広告の変遷
 …『陰獣』の新聞広告など多数の資料をもとに、当時の人びとには、『陰獣』という作品がどのように映っ
  ていたのか、考察。
   読者に『陰獣』がどのような作品なのかを知らせる一番のものが広告。大衆紙の場合、多くの人の目
  に触れるわけだから、そこに書かれた情報が最も一般的なイメージへとつながってしまう。

○1930年代前後の犯罪報道における「江戸川乱歩」と『陰獣』
 …江戸川乱歩を犯罪学者・推理探偵のように扱い、事件に関する見解を掲載している記事。
  一方で、
   江戸川乱歩の『陰獣』が読者に犯罪者意識を芽生えさせ、事件を起こすに至ったかのような記事。
  都合よく利用されていた。

《2》 『陰獣』における「推理」

○『陰獣』というテクストについて
 …手記形式。語り手は、自分で自分のことを「道徳的に敏感」な「善人」としている。
   語り手は、必ずしも信頼できない、と思われる。

○「私」の推理は推理か?
 …信頼できない語り手である「私」の推理には、想像でしかないのでは、と思われる部分が多くある。
  果たして、「私」が行っているのは推理なのか。静子と近しくなりたい。春泥を超えたい。などの願望によ
  って、都合よく事実を組み替えているだけのようにも思える。

《3》 『陰獣』の映画化と1970年前後のミステリ・ジャンルをめぐるメディア環境

○加藤泰『江戸川乱歩の陰獣』(松竹/1977)
 …小説では寒川の視点しか提示されないが、映画では、静子の存在感がすごくある。


古い資料も多く準備していただいて、とても良い議論もできたと思います。
一人ひとりの感じ方もそれぞれで、井川先生も気にしていなかったような論点も学生側から出たりなど、とても有意義だったと思います。
特別講義のあとは、打ち上げを行いました。とても楽しかったです。

秋学期第6回ゼミ

10月29日(木)
中島京子『女中譚』と間テクスト性

時間が押し迫るなか、論点を絞ることで
ゼミ生全員で活発な議論を行うことができました。


論点1 「林芙美子『女中の手紙』の語り手・焦点人物は千代か?」
私の予想は両方とも千代だったのですが、議論していくうちに違うらしいことがわかりました。
『女中の手紙』は千代が信作に宛てた八通の手紙だけが並べられている書簡体小説で、
手紙の文章はすべて千代の一人称で書かれているのですが、
この作品を単なる一人称の小説と決めつけるのはいささか早計です。

この八つの手紙を並べて読者に提示している何者かの存在を無視できないこと、
「手紙」という媒体が作り出す、送り手と読み手の間にある時間のズレが重要であること、
などが理由にあげられます。

結局時間内には決着がつきませんでしたが、
『女中の手紙』が普通の小説とは違う特殊な作品であることを共通の認識として理解しました。



論点2 「戒厳令の夜、萬里子はなぜ「すみ」の胸に触れたのか?」
私が間テクスト性を完全無視して、登場人物の性格描写の議題を挙げたうえに
吉屋信子についての情報をレジュメに書き損ねたため、やや議論がブレてしまいました。
(今回の「間テクスト性」というテーマにおいては非常に重要なことだったと反省しています)

吉屋信子は、彼女自身が同性愛者であることを公表しています。
彼女がレズビアンであったこと、彼女の作品にエス(女性同士の強い絆)を描いたものが多くあること、
そしてこれらを知っていたであろう中島京子が、自作に同性愛的描写を色濃く組み込んだという点は
間テクスト性どころか元作品の作者の性質までもが、以降に生み出される小説の
内容に関わっているのだ、という事実を明らかにしています。



最近は4限の卒論準備ゼミに精魂を吸われているのか、
5限に力を入れられてませんね!頑張って食いついていきましょう!


追記よりレジュメです。

11.05.2015

秋学期第5回ゼミ 特別講義準備

1022() 特別講義準備
文責 日高華英

【江戸川乱歩】[i]
明治27年 三重県名張市生まれ (1894)
大正3年  E.A.ポーやドイルなどの理知的探偵小説の妙味を知る
大正12年 処女作「二銭銅貨」発表
大正14年 乱歩の回想「自分の持っている小説力ともいうべきものを殆んど出し尽くした」~昭和2年     「私の作家としての最良の時期であった」
昭和4年 「陰獣」発表 …12か月ぶりの作品

【『陰獣』論】 鈴木貞美[ii]
・江戸川乱歩は謎解きや犯罪トリックを中心にする「本格志向」と、いわゆる怪奇幻想志向とのふたつの傾向をあわせもっている
・構成:全体としては時間の順序に従って書かれた実話仕立て
    小説のためのメモという性格上、経緯の説明の随所に独白小説的な心理説明
    =実話仕立てと本人の心理説明という二重のしくみ
・乱歩自身認めるようにいわば初期の〈集大成の形〉
・江戸川乱歩の三分身がおりなす事件
・世の中に受けとめられている自分自身を作品の中に示している
・一人称独白体
・ひとつの事件にいくつもの解釈が可能なのだという思想
・江戸川乱歩の『陰獣』は、ひとりの人間の心理においても事実というものが多義性をもって現れることを形象化した作品として異議をもつ

【『陰獣』論―江戸川乱歩における〈推理〉】 横井司[iii]
・批評の多くは、結末に疑いを残したことを非難していた
・江戸川乱歩の〈純粋の探偵小説〉は、探偵の推理を描くと同時に、厳密な推理がつねに真相に到達するわけではないことをも示している

【乱歩小説の映画化について】 桂千穂[iv]
・探偵小説というもの自体、現在と戦前では評価のされ方が大きく違う
1927年 『一寸法師』
1946年 『パレットナイフの殺人』「心理試験」大映
1948年 『一寸法師』松竹がリメーク
1948年 『幽霊塔』大映
1950年 『氷柱の美女』「吸血鬼」
1954年 『怪人二十面相13』『青銅の魔人14部』松竹
1955年 『一寸法師』新東宝 …江戸川乱歩賞が発足した年
1956年 『死の十字路』「十字路」
     『少年探偵団』シリーズ 東映
1957年 『少年探偵団』シリーズ 東映 (つづき)
1958年 『透明人間』『首なし男』小林恒夫
     『蜘蛛男』新映画社
1960年 江戸川乱歩の世界がスクリーンから消えた
1962年 『黒蜥蜴』大映
1968年 『黒蜥蜴』松竹
1969年 『盲獣』大映『恐怖奇形人間』東映
1970年 『屋根裏の散歩者』1976年も
1977年 『陰獣』松竹
1994年 『屋根裏の散歩者』『押絵と旅する男』『RAMPO
1969年までは、全体として映画の本数は増えていったにも関わらず、乱歩の作品は不振に終わっていた
・近年になるにしたがって乱歩をきちんと生かした映画化が増えてきた
・日本映画人の精神が自由になったから

【男の凡庸な名】 武田信明[v]
・犯人の名が、「陰獣」では、最初に提示される
 →探偵小説が「名」を中心に構造化された物語であることを顕在化させる
・猟奇的作家「大江春泥」と、その凡庸な本名「平田一郎」
     →「江戸川乱歩」       →「平井太郎」
・小説家にとっての「名」は重要
 …江戸川乱歩 奇矯さ、特殊性、顕在性
  平井太郎  凡庸さ、一般性、匿名性
・「江戸川乱歩」は、「エドガー・アラン・ポー」に由来



[i] 中島河太郎「江戸川乱歩と幻想文学」国文学解釈と鑑賞○巻12号○頁(1994)
[ii] 鈴木貞美「『陰獣』論」国文学解釈と鑑賞591294102(1994)
[iii] 横井司「『陰獣』論―江戸川乱歩における〈推理〉」国文学解釈と教材の研究3636264(1994)
[iv]桂千穂「乱歩小説の映画化について」国文学解釈と鑑賞59127075(1994)
[v] 武田信明「男の凡庸な名」国文学解釈と鑑賞59123641(1994)


これをもとに次は特別講義。

秋学期第4回ゼミ

第4回ゼミではジュネットの『物語のディスクール』の叙法・態についての理論を、
田山花袋の『蒲団』と中島京子の『FUTON』で考えていきました。
以下レジュメです。

10.28.2015

秋学期第3回ゼミ

 理論体得ゼミ 第3回ではジェラール・ジュネット『物語のディスクール』(時間)の概念を使って、中島京子『小さいおうち』の分析を試みました。

 『物語のディスクール』はとても難解で理解の及ばない部分が多くありました。


Ⅰ順序 物語内容の時間的銃所とそれを提示するテクストのずれ(錯時法)を扱う領域
  
射程 物語内容の「現在の」時点―錯時法が姿を現す部分と錯時法でかたられている部分との間的距離

振幅 錯時法の持続

錯時法には主に後説法と先説法の二つがある、

後説法 物語内容の「現在の」時点より前のことを語る場合、最も一般的

先説法 これから起こることを先取りして語る場合

『物語のディスクール』では様々な種類の後説法、先説法が紹介されていました。

『小さいおうち』は物語りの大部分でタキが語り手となり、自分の若いころを振り返り語っている物語なので、主に後説法がとられている。

疑問に思った部分
『小さいおうち』101ページ15行目~ 
その後、ほんとうに世界大戦が起こってしまい、東京ばかりか、ヘルシンキでもローマでも開催は不可能になって、オリンピックそのものがとりやめになってしまったのだから、わたしが健史に言ったことも、あながち間違いではないと思う。
 
Q.『小さいおうち』は、ほとんど後説法で語られているが、上の箇所はタキが語っている過去の段階では起こっていない世界大戦にいついて語られているので、先説法が使われているはといえないだろうか

議論で得られた意見

・タキが過去を語っている部分に絞って考えれば先説法といえなくもない
・タキのいる現在を含めれば後説法
・現在のタキの生きる時間軸がなく、昔のタキの時間軸のみならば、内的後説法
・実際は、現在のタキの時間軸と昔のタキの時間軸が存在するので、外的後説法
・頻度の概念を重ねると反復的先説法(予告)



Ⅱ持続 物語内容における時間的継続と物語言説におけるそれとの対応関係(速度)を扱う領域

休止法 物語内容=0 物語言説=n 速度ゼロ 描写

情景法 物語内容=物語言説     リアルスピード 台詞の部分
  
要約法 物語内容>物語言説     圧縮によるハイスピード 基本的叙述

省略法 物語内容=n 物語言説=0 速度無限大 話が飛ぶ部分

『小さいおうち』では
・家族の団欒やタキと時子の会話の部分はリアルスピードで語られている一方、戦争の話や旦那様の仕事の話などはハイスピードで語られている。
・板倉(と時子)が登場する場面は物語の速度が遅くなる傾向にある。例えば139ー141ページではほんの一瞬のことに約2ページが割かれている。
・手紙騒動の後、特にタキが時子と別れてからは物語が加速して詳しい描写が少ない。
・261ページでは十年ぶりに帰った故郷や会った家族の話が数行でまとめられている。

これらのことからタキ(語り手)の思い入れの強い話や知識のある話は語られる量が多いのではないかと考えた。

議論で得られた意見
・語られる量は語り手の思い入れや知識量で決まるのか、それともそれは作者の思い入れ、知識量であるのか。
・249ページのように語られている量で思い入れがあるか否かが決まるとは限らない。語り手があえて語ってない部分も存在する。


Ⅲ頻度 物語言説における出来事の生起のあいすうと、物語言説における叙述の回数との関係

      出来事の回数   叙述の回数
単記法       1   対   1    

反復法       1   対   n

括復法       n   対   1

『小さいおうち』では
基本的に単記法が用いられている

タキが語った歴史を現代の若者である健史が語り直しているところ→反復法

(例 19ページ4-5行目 この話は小中先生お気に入りの話だったようで、そのあとも何回か拝     聴する機会があった。→括復法
    
Ⅰ-Ⅲの概念だけで物語を読み解くことは不可能ですが、それを使うことで新たに分かったことが多少なりともあったように思いました。
春に比べると難しさが増してきました。ついていけるよう頑張りたいです。         

10.27.2015

後期第2回ゼミ

後期初めてのディスカッションとなる第2回ゼミでは、
『小さいおうち』を作家論、テーマ論で考えてみました。

作家論

作家論とは、その作家について考え、
どんなことを作品を通して伝えたいのかを研究することです。
作家論をするためには、その作家がどういう人なのか、何主義に属しているのか、
どういう問題に取り組んでいるのか、などを考えていかなければなりません。
今回私たちが考えたのは『小さいおうち』の作者である中島京子についてです。


中島京子

1964323日生まれ

東京女子大学文理学部史学科卒業後、日本語学校教員、フリーライター、出版社勤務を経てインターンで渡米。その後2003年に『FUTON』で作家デビュー。

父は中央大学名誉教授の中島昭和、母は明治大学元教授の中島公子、どちらもフランス文学者である。姉はエッセイストの中島さおり。

 

143回直木賞(2010年上半期) 『小さいおうち』

42回泉鏡花文学賞(2014) 『妻が椎茸だったころ』

3回河合隼雄物語賞(2015) 『かたづの!』

4回歴史時代作家クラブ賞(2015) 『かたづの!』

10回中央公論文芸賞(2015) 『長いお別れ』

そのほかに、インタビューによると女中小説が好みであったり、ジェンダーの問題に取り組んでいたりと、彼女についていろいろと考えることができます。
戦後生まれでありながら『小さいおうち』のような戦時中の描写をしたり、あとがきでの発言から、戦争に反対する女性作家というイメージがディスカッションの中で生まれました。

作品論

作品論は作家論とは対照的に1つの作品で何が言いたかったのかを考えていくものです。
私は、『小さいおうち』に対する先行研究やインタビューから、
①戦時中の人たちの意識と私たちの思う当時の人たちの意識の不一致
②気取られることなくしんこうする戦争の恐怖
③読者にミスリードさせる入れ子構造の面白さ
の3つがその言いたいことなのではないかと考えました。
さらにディスカッションを通して、物語の中に多様な女の人が出てくることに
意味があるのではないか、そうした女性の姿を書くのも目的だったのではないかとの見方も生まれました。

また、作品論の陥性(落とし穴)というのもあり、作品の中に書かれていることすべてが咲く社外としていることではなく、100パーセント作者と結びつけることはできないと講義してもらいました。

今回は後期1回目のゼミということで、後期の忙しさを垣間見ました。
しかしここをがんばれば何か見えてくるそうなのでどうにか食らいついていこうと思います。