タイトル

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6.25.2014

第8回ゼミ

2014年6月4日

 今回は『批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義』(中公新書)第1部の13「間テクスト性」と14「メタフィクション」について議論を行いました。



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以下、レジュメの内容


間テクスト性:文学テクストは孤立して存在するものではなく、
       他の文学テクストとの間に関連があること。

人物紹介
・ジュリア・クリステヴァ(1941-
Julia Kristeva
 ブルガリア出身の批評家。間テクスト性という概念を定着させた。

・ウィリアム・ゴドウィン(1756-1836
William Godwin
 イギリス出身の思想家・小説家。無政府主義者。メアリー・シェリーの父。
 主な著作『政治的正義の研究』。

章の要点
・『失楽園』
 フランケンシュタイン創造者と地獄落ちする者
    怪物     アダムとサタン

・『政治的正義の研究』
 善意に基づく制度のもとでは、公正で有徳な社会が作り出される。
 不公正で苛酷な社会で過ごすことにより、怪物は悪意に染まってしまった。

・『ケイレブ・ウィリアムズ』
 ケイレブ:地主フォークランドの隠された秘密を探ることに熱中する。
      フォークランドに執拗に追跡される。
 フランケンシュタイン:生命創造に熱中する。
      怪物に追われる。(追いつめられる。)
 
 ・ケイレブとフォークランドの対話
  フランケンシュタインと怪物の山中での対話の類似。
 
・『老水夫行』
 「アホウドリを殺し」「人造人間の創造」
 「老水夫」「ウォルトン」・「フランケンシュタイン」
 
・絵画「悪夢」
 エリザベスが殺害された状態と絵画「夢魔」が類似。
 モーリス・ヒンドルの説
 怪物がエリザベスを強姦したのではないか。
 女の伴侶を造ることを拒否したフランケンシュタインに対する性的な復讐。




14.メタフィクション
キーワード
・メタフィクション:語り手が語りの前面に現われて、読者に向かって、「語り」 
          事体についての向上を述べるような小説。語り手がこのよ
          うな態度を示すと、作品が作り物であることが露わになる  
          が、その状況が意図的につくり出される場合が多い。

人物・作品紹介
・ローレンス・スターン(1713-1768
Laurence Sterne
 イギリス出身の小説家。牧師。
主な著作『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』

・『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』
ヨークシャーの地主階級に属する紳士トリストラム・シャンディが自分の半生を回想したもの。とても詳細に回想している。


語彙
・フィクション:作り事。虚構。作者の想像力によって作り上げられた架空の
         物語。小説。
(デジタル大辞泉より引用。)

章の要点
・語りについての語り
ウォルトン「昼間に聞いたフランケンシュタインの物語を、どうしても無理な場合以外は毎晩、できる限りそのままの言葉で書き留めることにした。忙しいときには、メモだけでも取っておく」
編集方針を述べていて、メタフィクション的要素がある。

・真実と語りとの間の距離
ウォルトンの記録にフランケンシュタインは手を加え修正・拡大を行っている。
(メタフィクション的要素)
短い期間で物語の記述が完成した信憑性の理由づけ。一方で「真実」は  
 幾重ものフィルターをとおして変形している。


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まず「間テクスト性」では、先行作品との関連は作者が意識的に行ったものしか含まれないのか、ということが論点として挙りました。結論としては「無意識」も「意識」も含める、ということになりました。
その議論で、絵画「夢魔」と「フランケンシュタイン」には間テクスト性があるというモーリス・ヒンドルの指摘は作者にとって意図していないものの可能性もある、と考えたら「無意識」も含めるのではないか、という話になったのですが、そこで新たな疑問が浮かんできました。
それは読者の解釈も作品の一部として含まれるか」そもそも「作品は誰のものか」ということです。
これはゼミ生の中で「作者派」と「読者派」に分かれたものの、まだまだはっきりとは決められない状況。
先生から、この問題を考えていく上で、ヴォルフガング・イーザーの「読者行為論」を紹介されたので読んでみて、今後もゼミで考えていきたいと思います。

メタフィクションに関しては判断するのがなかなか難しく、これはメタフィクションなのか?などと話し合いながら一つずつ丁寧に検討しました。フランケンシュタインでは書簡形式を用いていて、ウォルトンの姉であるマーガレットの手紙から詳細を知ることができます。そのため、ついついマーガレットに話しかけていると思ってしまい、メタフィクションの要素はないと思ってしまいます。しかし、手紙を通して私たちに話しかけているとも言え、ウォルトンの記録にフランケンシュタインが修正・拡大を行っているという言葉は「語りについての語り」でありメタフィクション的要素があると言えるのではないか、ということに気がつくことができました


今までの授業で、これからのゼミを通して考えていきたい問題というのが何個かでてきました。今後の授業でまた議論になると思うので、その都度ブログで報告したいと思います。

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