タイトル

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8.10.2015

第10回ゼミ

第10回ゼミの内容は批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義より、
批評理論篇の第5章、第6章でした。

第5章「精神分析批評」

教科書の中では、四つの精神分析的な見方が紹介されています。

①フロイト的解釈
これは、他の三つの見方を理解するうえで最も重要かつ基本となるものでした。
エゴ、イド、スーパーエゴなどの難解な単語がいくつか出てきましたが、
フロイトの考え方をおおまかに捉えつつ(ある意味で深入りしないよう)議論を進めました。

議論では、
「エディプス・コンプレックス」という現象への疑問の声がありました。
これは同性の親に取って代わり、異性の親の愛を独占したいという欲望のことをさす言葉です。
自分達がこのようなコンプレックスの経験に乏しいことも、
現象そのものを疑問視する原因だったようです。

*先生からのヒント!
→エディプス・コンプレックスは、”核家族”という極めて限定的な家族構成に当てはまる、
 近代的な主張であるとの意見もある。
→私達は、異なる時代の物語を読む際も、登場人物達が近代的な家族関係にあると
 見てしまいがちだが、昔は家族の形は今とは全く違った(cf.源氏物語)。


②ユング的解釈
端的に言うと、フロイトの理論に「集団的無意識」を追加した見方です。
人間の無意識には、生まれながらにして民族や人類全体の記憶が保有されていると彼は指摘します。
また、人間が遺伝によって継承した精神の構成要素「原型」という概念が特色的。

あまり積極的な議論は生まれませんでした。


③神話批評
個人や歴史を超えた人間経験の原型を、文学作品のなかに探し当て分析しようとする批評。
文学作品に使われるモチーフ(ここでは展開)に、ある程度パターン化された
「原型」が存在することは、私達は経験から既に知っていました。
しかしそれに精神を結び付け、人間経験の原型を見出すことはありませんでした。

(我々は果たして「現代のプロメテウス」という副題に気づいていたのだろうか?)

フロイトとユングの解釈に比べると、比較的とっつきやすかった印象。
しかし”個人や歴史を超えた人間経験”の存在を全員で疑っていました。


④ラカン的批評
端的に言うと、フロイトの理論に「言語」という新たな要素を付け加えた見方です。
”エディプス・コンプレックス=母を奪われた疎外感を代用としての言語で埋める現象”とし、
「エディプス・コンプレックスを経験した男児は、女児よりも速やかに言語の世界に入っていく」と
主張してフェミニズム批評を刺激しました。

議論では、
彼の主張した「鏡像段階」の概念に注目が集まりました。

*先生からのヒント!
→鏡像段階に入る前は、目の前の顔(親の顔)=自分の顔だと思っていた時代があった。
→人間は言語ありきで世界を把握する。



第6章「フェミニズム批評」

フェミニズム … 性差別を撤廃し、抑圧されていた女性の権利を拡張しようとする思想・運動、性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動などの総称。

ジェンダー批評と深い関わりをもつ。


以前から、何度か話題にのぼっていたことですが、
私達が20年と少し生きてきたなかで、性差別を実感したことはありませんでした。
なので、フェミニズム批評やジェンダー批評をする「意味がわからない」との意見が…

先生曰く、これこそがフェミニズム・ジェンダー問題に社会全体で
取り組んできた成果、そしてその恩恵を受けている世代なのかもしれませんね、との事です!


※追記にてレジュメ





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