第6回ゼミでは、『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』の11章の反復と、12章の異化を扱いました。
11章 反復
この章ではいくつかの反復を取り上げました。
反復とは繰り返しのことです。物語の中で反復される要素には、
筋や出来事、場面、状況、人物、イメージなど多岐にわたります。
・韻律
…音声の長短や強弱の組み合わせの形式。
・脚韻
…押韻の一つ。詩歌などの詩行の最後に韻を踏むこと。
・前辞反復
…文や節の最後の言葉が、次の文や節の最初に繰り返される技法。
・頭韻
…押韻の一つ。連続する単語が同じ子音または文字で始まるもの。
・リフレイン
…同じ語句が繰り返し使われる技法。
これらは反復の一種です。
こういった要素が出てくると、人はそこに注目します。
その中でも出来事の反復に重点を置いて議論を行いました。
出来事の反復では、たとえば『フランケンシュタイン』の中の「死」は確かに反復によって印象的にはなるのですが、むしろ繰り返しが多すぎて対概念である生命の創造(怪物の創造)が目立つ、といった印象を受けたという人もいました。
また、怪物の姿を何度も目にするという出来事は、確実に怪物に
追いかけられているという恐怖感をあおるという効果があるとの意見が出ました。
これらの反復は作品レベルよりも上の、作家研究の時にも利用できます。
その作家がよく使うイメジャリーや言葉を調べてみるのは、
面白い研究の仕方だと思います。
詩の話をしたときに、先生から塚本邦雄という歌人を紹介されました。
「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」のような鋭い歌を詠む歌人で、
非常にかっこいいとのことでした!
12章 異化
異化とは、普段見慣れた事物を、自分の常識を壊して、別の視点から見ることです。
よくわからないものを見たときに、私たちはそれを何か自分の知っているものに、
必死に置き換えたり、たとえたりします。それが異化なのです。
これは自動化や日常化の反対です。
ロシア・フォルマリズムのヴィクトル・シクロフスキーによれば、
習慣化に蝕まれた生をこのような方法で回復することこそ芸術の目的だそうです。
・ロシア・フォルマリズム
…1910年代から1930年代にかけて行われた文学運動、また文学批評の一派。
シクロフスキーやヤコブソンが中心。
文学性を言語の詩的特徴や、異化作用から特徴づける。
・ヴィクトル・シクロフスキー
…ソ連の言語学者、文芸評論家、作家。
ロシア・フォルマリズムの中心人物
ロシア・フォルマリズムの批評理論での位置づけ
『フランケンシュタイン』のなかでは、怪物が自分自身の存在をアダム、
またはサタンだと異化していたのが一番わかりやすい異化だと思います。
興味深いのは、そもそも言葉がない状態では異化ができるのか、
怪物は大人の脳を使って生まれているので、半ば言葉を持っている存在なのではないか、という意見が出たことです。
異化を理解するときに、マルセル・デュシャンの「泉」という現代アート作品を
紹介してもらいました。
これは、男子小便器にR.Muttという署名をしただけのものであり、一見すると本当にただのトイレです。「これはトイレだ!」という常識から離れた観点で見ると、奥から水が湧き出てくるという「泉」という風にみることもできます。これはとても分かりやすい異化でした。
デュシャンの「泉」
今回の議論は混迷を極めて、先生の助け舟のおかげで、
何とか無事に終わったという感じでした。
しかし今回のおかげで次回以降の読み方、進め方がわかりました。
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