ベネディクト・アンダーソンが12月13日に逝去されたとのことで…
私達がこのタイミングで「想像の共同体」を学習したのは何の巡りあわせでしょうか。
それなりに時間があったはずなのに、私のトロい発表で今回も摘み残しが沢山!
レジュメは矢印を多用することで、
複雑な論理をなんとかフローチャートのように纏めたかったのですが
彼の専門のインドネシアに関する記述がまるで分からず、心折れました。
次の機会にしっかりマスターできるよう頑張ります。
タイトル
12.17.2015
12.15.2015
秋学期第10回ゼミ
11月26日(木) ゼミ
文責 日高華英
『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』
ベネディクト・アンダーソン著
白石隆、白石さや訳
書籍工房早山 2007年
●ベネディクト・アンダーソン(1936~)
…インドネシア、タイ、フィリピンを中心とする東南アジア研究、ならびにナショナリズムに関する理論的研究で知られる。中国生まれ、アイルランド国籍。あらゆる意味で異種混交な家庭に育つ。
Ⅰ序
○「マルクス主義とマルクス主義運動の歴史に根底的変容が起こりつつある」
…ヴェトナム・カンボジア・中国間での戦争
・マルクス主義特有の理論的観点から正当化しようとしていない
・革命的マルクス主義体制VS革命的マルクス主義体制
→どうして同じ社会主義を目指す国同士で潰しあっているのか、、、
…“中華”人民共和国・“ヴェトナム”社会主義共和国など、国民的な用語を用いることで、
革命前の領土・社会的空間を維持し、そこにみずからを定置させている。
…ソヴィエト連邦・大ブリテン·北アイルランド連合王国など、ナショナリティ(国民的帰属)を排除した名前
・(ソヴィエト連邦は)21世紀の国際主義的秩序の先駆者
・19世紀の国民国家成立以前のプレ・ナショナルな王朝国家を継承している
○エリック・ホブズボーム
「マルクス主義運動と国家は、形式的にも実現的にも、国民的、つまり国民主義的となってきた。」
…この傾向は、社会主義世界に限られたことではない
・国際連合には毎年のように新しい国が加わる
・かつては十分に統合されていると考えられていた「旧国民」が、その国境内において、「サブ」・ナショナリズムの「サブ」を取り払うことを夢見ている(?旧国民が望んでいるのではない??)
・「ナショナリズムの時代の終焉」は全く見られない。
○ネーション〔国民〕、ナショナリティ〔国民的帰属〕、ナショナリズム〔国民主義〕の分析・定義は難しい
…ヒュー・シートンワトソン「国民についていかなる『科学的定義』も考案することは不可能だと結論せざるをえない。」
…トム・ネアン「ナショナリズムの理論は、マルクス主義の重大な歴史的蹉跌(=失敗)の象徴である。」
…「ナショナリズムはマルクス主義理論にとって厄介な変則であり続けてきたのであり、まさにその故に、正面から対決されることなく無視されることのほうが多かったのだ」
○本書の目的「ナショナリズムのこの「変則」をもっと満足のいくように解釈するにはどうすればよいのか、その試論を提供すること」
…理論的出発点は、ナショナリティとナショナリズム〔国民主義〕が特殊な文化的人造物であるということ。
・ナショナリティとナショナリズムはいかにして歴史的存在になったのか?
・その意味は時代によってどのように変化してきたか?
・今、どうしてそれによって人々は深い愛着を感じるのか?
○「国民」の概念
…ナショナリズムの理論家たちが突き当たった3つのパラドックス
・歴史家(客観的)には“国民”は近代的現象と見えるが、
ナショナリスト(主観的)には“国民”は古い存在に見える。
・社会文化的概念としてのナショナリティ〔国民的帰属〕が形式的普遍性をもつ、のに対し、
具体的にはいつも、手の施しようのない固有さをもって現れる。
・ナショナリズムのもつあの「政治的」影響力の大きさに対し、
哲学的には貧困で支離滅裂だということ。
…この「空虚さ」故に、ナショナリズムは、コスモポリタンでいくつもの言語をあやつる知識人には受けがよくない。トム・ネアンですら、ナショナリズムを「不治の病」と呼ぶ始末。
…このような問題が起こるのは、我々が、無意識のうちに、大文字のNで始まるナショナリズムの存在を実体化して、その上で「それ」をイデオロギーのひとつとして分類しようとするから。
○「国民」の定義
…人類学的精神で「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」と定義する。
そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なもの〔最高の意思決定主体〕として想像される。
・国民は〔イメージとして心の中に〕想像されたものである。
…ルナン「国民の本質とは、すべての個々の国民が多くのことを共有しており、そしてまた、多くのことをおたがいすっかり忘れてしまっているということにある。」
…ゲルナー「ナショナリズムは国民の自意識の覚醒ではない。ナショナリズムは、もともと存在していないところに国民を発明することだ。」
…共同体は、その真偽によってではなく、それが想像されるスタイルよって区別される。
・国民は、限られたものとして想像される。
…いかなる国民もみずからを人類全体と同一に想像することはない。
・国民は主権的なものとして想像される。
…この国民の概念は、啓蒙主義と革命が神授のヒエラルキー的王朝秩序の正統性を破壊した時代に生まれたから。
・国民は一つの共同体として想像される。
…国民は、常に、水平的な深い同志愛として心に描かれるから。
Ⅱ文化的根源
○ナショナリズムの想像力は死と不死に関わる
…宗教的想像力と強い親和性をもっている
…我々はすべて、我々の固有の遺伝的属性、性、生きる時代の制約、身体的能力、母語等々の偶然性と不可避性をよく承知している。
…宗教が、病い、不具、悲しみ、老い、死といった人間の苦しみの圧倒的重荷に対し、想像力に満ちた応答を行ってきた。
○運命性を連続性へ転化する
…宗教思想は、そうすることで、不死をもあいまいにする。
…18世紀の西欧において、運命性を連続性へ、偶然を有意味なものへと、世俗的に変換することが必要とされた。
○ナショナリズムは、自覚的な政治的イデオロギーと同列に論じるのではなく、ナショナリズムがそこから存在するにいたったナショナリズムに先行する大規模な文化システムと比較して理解されなければならない。(別にナショナリズムが宗教にとってかわった、とかではない。)
…先行する大規模な文化システム=宗教共同体と王国
宗教共同体
○宗教共同体が、広大無辺の共同体の概念を具現化していた
…しかし、キリスト教、イスラム共同体、そしてさらには中国ですら、主として聖なる言語と書かれた文字を媒体とすることによってはじめて想像可能となった。
…アラビア文語は、漢字と同様、音ではなく記号によって共同体を創造した
○聖なる言語で結ばれた古典的共同体は、近代国民の想像の共同体とははっきり違う特性をもっていた
…古い共同体が、その言語の固有の神聖性について揺るぎない自信をもっており、したがって、だれをこの共同体の成員と認めるかについてもはっきりとした考えをもっていた
○聖なる沈黙の言語が過去の偉大なる世界的共同体を想像する媒体であったとすれば、そうした幻想の現実性は、現代の西欧的思惟には異質の概念、つまり記号の非恣意性にもとづいていた
○聖なる言語によって、宗教共同体を想像することが可能になったとはいえ、これら共同体の実際の範囲と妥当性は、聖なる文字だけでは説明できない
○偉大な宗教的想像共同体のあらゆる威光と権力にもかかわらず、その自覚されざる整合性は中世後期以降、着実に減衰していった
…非ヨーロッパ世界探索の影響
…聖なる言語それ自体がしだいに格下げされていったこと
…ラテン語の没落は、旧い聖なる言語によって統合されていた聖なる共同体が徐々に分裂し、複数化し、領土化していくというより大きな過程を例証していたのである。
王国
○王国だけが想像可能な唯一の「政治」システムであった世界
…王権の正統性は神に由来し、住民に由来するのではない。
…国家が中心によって定義された旧い想像世界にあっては、境界はすけすけで不明瞭であり、主権は周辺にいくほどあせていって境界領域では相互に浸透しあっていた。
…前近代の帝国、王国は、きわめて多種多様な、そしてときには領土的に隣接すらしていない住民を、かくもたやすく長期にわたって支配することが可能となった
時間の了解
○想像の国民共同体が、単純に、宗教共同体と王国から生まれ成長して、これにとって代わるようになったと考えるのは違う。
…聖なる共同体、言語、血統の衰退の下では、世界理解の様式に根本的変化が起こりつつあった
…これこそが、なによりもまず、国民を「考える」ことを可能にしたのであった。
…時間観念の変化
○想像された現実が圧倒的に視覚的、聴覚的に表現される世界
…キリスト教世界は、このレリーフ、あの窓、この説教、あの物語、この教訓劇、あの遺物を通して、普遍的形式を手に入れた
…視覚的、聴覚的創造によって、常に、具体的、個別的に、文盲の大衆へと媒介する
→同時性の観念
この時間観念は、即時的現在における過去と未来の同時性に相当(メシア的時間)
○「メシア的時間」から「均質で空虚な時間」へ
…「均質で空虚な時間」では、同時性は、横断的で、時間軸と交叉し、予兆とその成就によってではなく、時間的偶然によって特徴付けられ、時計と暦によって計られるものとなった。
○二つの想像の様式の出現
…小説と新聞
…国民という想像の共同体の性質を「表示」する技術的手段を提供した
○小説に見られる「均質で空虚な時間」
…物語の中の人物は、「社会」にはめ込まれている。
これらの社会は、がっちりと安定した現実性をもつ社会学的実体であり、その中の人びとは、たがいに知り合うこともなく通りですれ違い、それでいてなお、たがいに関連しあっていると描写することができる。
…物語の中の人物は、全知の読者の頭の中にはめ込まれている。
読者だけが、さながら神のごとく、すべて同時に眺めることができる。
著者が読者の頭の中に新しい想像の世界を浮かび上がらせている。
○社会的有機体が均質で空虚な時間のなかを暦に従って移動していくという観念は、国民の観念とまったくよく似ている。
…4つの小説を検討
①…小説の「内的」時間から読者の日常生活の「外的」時間へと、物語中の対象物が移動していく。
…小説の登場人物、著者と読者、すべてを抱擁して暦の時間に沿って進んでいく単一の共同体の堅牢さを確証している。
②…バラグタスの時間の扱い方
…「会話によるフラッシュバック」によって、主人公を「社会」に位置づけ、読者とともに登場人物について語り合うことになる。
③…主人公が小説内の世界とその外の世界を溶接する確固とした社会学的風景のなかを移動していく。
…「国民的想像力」が作動している。
…複数形の行列によって、同等の対象物がそれ自体としてはいかなる意味でも固有の重要性をもたないが、それでいて、そうした対象物すべてが社会空間を目の前に思い浮かばせる。
④…複数形の世界にいることで、いきなり暦の時間となじみの風景のなかに投げ込まれる。
…「我らが青年」という言い方
…黙示的に、インドネシア人の「想像の共同体」の胚胎を意味している。
…想像の共同体は、我らが青年が読んでいるということを我々が読むという二重性によって確認される。
○新聞における、事件のあいだのつながりは、間接的に関連しあう2つの要因によって、あくまで想像されたもの
…たんなる暦の上での偶然
…新聞上すみの日付が、本質的なつながり、ゆるぎなく前進する均質で空虚な時間を提示している
…新聞は、本の「極端な一形態」
…虚構としての新聞を人々がほとんどまったく同時に消費する
…新聞の読者は、彼の新聞と寸分違わぬ複製が、地下鉄や、床屋や、隣近所で消費されるのを見て、想像世界が日常生活に目に見えるかたちで根ざしていることを絶えず保証される。
…虚構は静かに、また絶えず、現実に滲み出し、近代国民の品質証明、匿名の共同体へのあのすばらしい確信を創り出している。
◎国民を想像するという可能性それ自体が、古来の三つの基本的文化概念が公理として人々の精神を支配することができなくなったそのとき、その場所で、はじめて歴史的に成立した
①…特定の手写本(聖典)語だけが、まさに真理の不可分の一部であるということによって、存在論的真理に近づく特権的手段を提供するという観念
→宗教共同体
②…社会が、高くそびえたつ中央―他の人間から隔離した存在として、なんらかの宇宙論的(神的)摂理によって支配する王―の下で、そのまわりに、自然に組織されているという信仰
→王国
③…宇宙論と歴史とは区別不可能であり、世界と人の起源は本質的に同一であるとの時間観念
→同時性の概念
~人物紹介~
●エリック・ホブズボーム(1917-2012) …イギリスの歴史家。『創られた伝統』など。
●ヒュー・シートンワトソン(1916-1984) …イギリスの歴史学者・政治学者。ロシア・東欧史専門。
●トム・ネアン …ナショナリズムに同情的な研究者。
●エルネスト・ルナン(1823-1892) …フランスの宗教史家、思想家。『イエス伝』
●アーネスト・ゲルナー(1925-1995) …歴史学者、哲学者、社会人類学者。ナショナリズムの研究で有名。『民族とナショナリズム』など。
●レジス・ドゥブレ(1940-) …フランスの哲学者、作家。チェ・ゲバラのゲリラ闘争に参加。
●ペドロ・フェルミン・デ・バルガス …コロンビアの自由主義者。
●アーヤトッラー・ルボッルラー・ホメイニー(1902-1989)
…イランにおけるシーア派の十二イマーム派の精神的指導者、政治家、法学者。
●リュシアン・フェーブル(1878-1956) …フランスの歴史学者。
●アンリ・マルタン(1810-1883) …フランスの歴史学者。
●ヤーシ …
●エーリヒ・アウエルバッハ(1892-1957) …ドイツの文献学者、比較文学研究者、文芸評論家。
●ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)
…ドイツの哲学者。ドイツ観念論を代表する思想家。
積み残しばかりではありましたが、要点を押さえる、という点ではできたかと、、、。
とにかく、わかるようなわからないような、今すぐわからなくても、徐々に理解していければいいんじゃないかと思います。
まずは、理解できるできないの前に、読破するところからですね。
11.30.2015
秋学期第8回ゼミ
第8回ゼミでは石原千秋『読者はどこにいるのか』(1~3章)を読んで臨みました。
以下レジュメ↓
今回学んだこと↓
近代的自我-人とは違う“自分”というものを持たなければならないと考える。近代以前の身分社会では自分がなにものであるか、自分は人とは違うなにかにならなくてはいけない。というような考えが芽生えにくかった。
想像の共同体-たとえば、“日本”があたかも大昔から存在していることを疑わないような意識。
日本人の特徴として集団行動をすることがあげられた時、“日本人”は集団行動をするDNAを持っているように語られる。私たちは“日本人”という統一した集団が昔からあるように考えてしまうが、それは日本が国民国家となった明治以降の意識にすぎない。
内藤先生(^o^)/ 情コミ学部の学生が共通して必ず読むような本がないのは、情コミの悪いところ だね。 想像の共同体くらい?共有できてるといいね!
とのことでした。
以下レジュメ↓
パラダイム ある時代に支配的なものの仕組みや考え方
パラダイム・チェンジ ある社会のシステムといった大きな枠組みを崩壊させ、変容させること。「パラダイム・チェンジ」は、時代の変化によってなされるものだが、誰でも認識できるようなかたちで必然的かつ具体的に現れてくるとされる
*この本の論点
1近代読者が誕生したのはパラダイムの変更による
2近代文学研究において読者が問題として浮かび上がったのもパラダイムの変更による
近代文学研究のパラダイム~読者の登場まで
作家論パラダイム 1960-1970年代
*特徴
・近代的自我を論じる
*読者
このパラダイムにおいて「真理」は作家の側にあるのだから、極端に言えば読者は自分が読者であるという意識さえ持ってはいなかっただろう。p23
→読者はむしろ邪魔
作品論パラダイム 1970-1980年代
*特徴
・作家論からの影響で作品から「作者の意図」を読み込むことが最終目標
・近代批判の姿勢が鮮明に(近代批判のパラダイム)
*読者
作者よりも研究者自身のイデオロギーや思想性が全面出るようになった。しかし近代批判のパラダイムが強固であったため、研究者は自分がどのような読者か(自分は近代批判の立場に立った読者である)という反省意識を持つことがほとんどなかった。
→作者より読者が前にでてきたがそれが問題化されなかった
→作者と作品がある程度切り離されて考えられるようになり、テクスト論の下地に
読者の誕生
テクスト論パラダイム 1980年代-現在?
*特徴
・作者とは接続しないがそれ以外のいかなる要因にも開かれている
・文学テクストは現実世界から相対的に自立している
*読者
ロラン・バルト「作者の死」によって読者が誕生
テクスト論の流れ
構造主義
二項対立を用い、構造分析を行う
↓二項対立を反転
ニュー・アカデミズム
権力に近いものと遠いものとの関係を反転させ社会秩序の転倒をめざす
ナラトロジーの導入により語り手」の言葉の受け手としての「読者」が概念が「作者」は「読者」という外部を持った。真理はむしろ「読者」の手の中に
ポスト構造主義 言語論的転回 「世界は言語のように構造化されている」から「世界は言語である」
主体は一つではなく複数(学生としての私も、店員としての私も、全部私)
→二項対立の考え方ではみえてこない
+言語論的転回以降の構築主義
カルチュラル・スタディーズ
時代におけるある事柄の語られ方の偏りを明らかにする メディア研究を盛んに行い、メディア戦略を明らかにする
ポスト・コロニアリズム
国家を規定する単位が民族に
近代読者
*近代読者が生まれるための八つの条件 『読者はどこにいるのか』p56参照
=中産階級を成立させるための条件
読者の地殻変動① 1910年(明治40年)前後
・国家が国民に読ませたい本だけ十分に読む能力を身につけさせたいと考えはじめる。
・「高等読者」と「普通読者」、中産階級以上と以下が存在していたが、昭和初期の「円本ブーム」は二つのグループを横断した。
・明治・大正期の「近代文学」が新しい「古典」として広く国民に共有され、大衆読者の内面の共同体の基礎となった。
読者の地殻変動② 1960-1970年代
・読書がエリートの行為から大衆の行為へと広がりを持つようになり、読書が教養から消費に。
・黙読により行う読書は自分と他者との比較ができず、そのため自己と他者の内
面が同じであるという「想像」による「内面の共同体」が形成される。
・国語教育を受けることや図書館で読むことは「内面の共同体」の形成に一役買っている。
・「内面の共同体」≠「想像の共同体」(国民国家)「内面の共同体」は国境や時代を超える。
今回学んだこと↓
近代的自我-人とは違う“自分”というものを持たなければならないと考える。近代以前の身分社会では自分がなにものであるか、自分は人とは違うなにかにならなくてはいけない。というような考えが芽生えにくかった。
想像の共同体-たとえば、“日本”があたかも大昔から存在していることを疑わないような意識。
日本人の特徴として集団行動をすることがあげられた時、“日本人”は集団行動をするDNAを持っているように語られる。私たちは“日本人”という統一した集団が昔からあるように考えてしまうが、それは日本が国民国家となった明治以降の意識にすぎない。
内藤先生(^o^)/ 情コミ学部の学生が共通して必ず読むような本がないのは、情コミの悪いところ だね。 想像の共同体くらい?共有できてるといいね!
とのことでした。
登録:
投稿 (Atom)